I love you,please love me.
最近はと言うと、もっぱら俺が古泉の家に行くことが多くなっているが、母親と妹からの「たまには古泉くんを家に連れてきなさい」攻撃に俺がとうとう根負けした形で、今日は俺の家に古泉がやってきていた。
招かれた古泉はいつもの女性ウケする柔和な微笑を浮かべ、ちょっと浮かれ気味の母親と妹にもそつのない紳士的な対応を続けていた。お前のその適応力には本当に恐れ入るよ。
色々と話を続けたいらしい女性陣の包囲網をくぐりぬけ、ようやく俺の部屋にたどり着いた頃には、古泉ではなくて俺のほうがげっそりとしている有り様だった。
「何だかあなたに気を使わせてしまったようで、申し訳ないですね」
そう言って古泉は苦笑している。確かに母親や妹が古泉にあれこれと質問するたびに、当の本人は失礼ではない程度に如才のない受け答えをしていたものだったが、むしろ横で聞いていた俺が色々気を揉んでしまった。もちろん深く追及するわけではないとは言え、『古泉くんはひとり暮らしなのー、大変ねえ。ご両親はさぞ心配していらっしゃるんじゃないかしら』なんて台詞を口にされた日には、俺のほうが緊張してしまう。そんな質問は、俺にはとてもできない。
そのことに少し複雑な気持ちにもなったが、まあそれは今あえて考えることじゃない。そう考え直して、俺はひとまず部屋の中に腰を落ち着けた。
「いつも思いますが、良いご家族ですね」
俺と同じく人心地ついたらしい古泉が、テーブルの上のジュースを一口飲んだ後でそうつぶやく。
「そうかね。まあ別に悪いとは思わんが……」
「あなたや妹さんを見ていると、『ああ、良いご家庭で育ったんだろうな』と思わせられますよ。何といいますか……とても健やかで、ひねくれたところがない、という感じがします」
まるで自分はそうではない、とでも言いたげな古泉の言葉に、俺はまた何とも言えない気分にさせられていた。
そんな俺の内心を悟ったのか、古泉は「そんなことは気になさらなくていいんですよ」とでも言いたげな、無駄にやわらかい笑みを見せた。
くそ、そんな笑い方なんて、させるつもりないんだがな、俺は。
と、その時、部屋のドアが小さくノックされる音が聞こえてきた。何だ?
「キョンくん、キョンくーん、ここあけてー」
妹の声だ。とりあえずドアを開けてやると、シャミセンを腕に抱えた妹がそこに立っていた。
「シャミがね、入りたいんだって。中に入れてもいい?」
「ああ、別に構わんが……」
「よかったねーシャミ。行っといで」
そう言って妹が手を離すと、シャミセンは軽やかな足取りで俺の部屋に入ってきた。
勝手知ったる部屋の中──であるはずだったが、今日は客がいるせいか、ちょっと警戒した様子で戸口のあたりをうろうろと歩いている。
「じゃ、下に行くね。おやつ食べてくるから」
「食べ過ぎるんじゃないぞ」
はあい、という声を残して妹は階段を下りていった。扉を閉めて振り返ると、ちょうどシャミセンが古泉のまわりを珍しそうにうろついているのが見えた。あの映画の時とか、古泉とは何度か会ったこともあるはずだったが、まあさすがに覚えちゃいないか。
シャミセンはそのままゆっくりと古泉に近付いて、ふんふんと匂いを嗅いでいる。対する古泉はというと、ちょっと戸惑ったような様子で、するがままにさせているようだった。さすがの古泉も、猫が相手では人間の女性にするようには行かないもんかね、と思うとちょっと笑えてくるような気がする。
そのまま俺はさっき座っていた場所に戻り、ベッドを背にして腰を下ろした。
それに気付いたのか、古泉にまとわりついていたシャミセンがこちらにやってくる。あぐらをかいた俺の膝の上にのぼって、そこで体を丸くして座ろうとしているようだった。
「もうすっかり、あなたの家の猫として馴染んでいるんですね」
「そうだな。こいつを連れて来てから、何だかんだ言ってももう半年くらいは経ってるし。妹もペットを飼いたがってたから、まあ良かったんじゃないかと思うぞ」
俺は膝の上に陣取ろうとしていたシャミセンを抱き上げて、胸のところでかかえつつ、ゆっくり頭を撫でてやった。特に眉間のあたりをそうっと撫でると、気持ち良さそうに目を細めている。それから頬の下だとか、喉のあたりを触ってやると、更に気に入ったと見えて、ごろごろと喉を鳴らしていた。頭から首、胴のあたりまでを優しく撫でると、手触りの良い体毛がこちらの手にも心地よい感触を伝えてきた。
ふと俺はいつのまにか古泉が無言になっていることに気付き、テーブルを挟んで斜め向かいに座っているその顔を見た。
するとどうだろう。古泉はちょっと一言では表現しづらい、ひどく複雑な表情で俺とシャミセンを眺めているではないか。
「古泉、お前……」
「何でしょうか」
「まさかと思うが、こいつに妬いてるだとか、言わないだろうな」
この男が、涼しい顔をしながらも実は大変に嫉妬深いということを、俺はよく知っている。だが、いくらなんでもその対象が動物にまで及ぶとなると、それはさすがに俺も許容範囲を超えちまいそうだぞ。
「妬いてなんていませんよ」
そう言って、古泉はふいと横を向いてしまった。何だその拗ねたような仕草は。言ってることと行動がてんでバラバラだ。
「本当に、嫉妬しているというわけではありません。ただちょっと……」
「ちょっと、何なんだ」
「──ちょっと、いいなあ、とは、思いました」
……それは、意味するところは同じなのではないだろうか。
俺はそう思ったが、古泉に言わせるとちょっと違うらしい。だが結局のところ、気持ち良さそうに俺に撫でられているシャミセンを見て、そこに羨望の眼差しを向けていたという事実には何の変わりもない。
「……お前もたいがい恥ずかしい奴だな。知ってたけど」
「知ってらっしゃるんだったら、わざわざ言わなくてもいいじゃないですか」
何だ?珍しく頑なな態度だな。別に怒っているというわけでもなさそうだが。
俺は立ち上がって、腕に抱いていたシャミセンをベッドの上に横たえた。シャミセンは様子をうかがうように布団の上を少し歩き回ったあとで、落ち着ける場所を見つけたのか、その場所でまた丸くなって目を閉じていた。
それを見てから俺はまた元通りの場所に座り、改めて古泉を見た。
──困った奴だな。
「おい、古泉」
「……はい」
「ちょっとこっちに来て座れ」
言いながら自分の目の前を指差す。古泉は、叱られるとでも思っているのか、神妙な表情でゆっくりこちらにやってきて、俺の前に座った。
「ここで、いいんでしょうか」
「ああ、構わん」
そう言ってから、俺は無言で古泉の頭をぐいっと引き寄せて、胸のあたりに抱えてやった。
「……な、何をしてるんですか!」
「何をじゃない。いいからお前はおとなしくしてろ」
古泉は突然のことにうろたえている様子だったが、あいにく俺にはそんなものを聞いてやる気はない。
力任せに引き寄せたので、古泉は少しバランスを崩して前のめりになり、ちょうど俺の肩口のあたりに寄りかかるような格好になっている。いつもは若干見上げなければならない位置にある古泉の頭が、自分の目線の下にあるというのはちょっと気分が良いもんだと思った。
そのまま、俺は目の前の古泉の頭をゆっくりと撫でた。
「──あ、あの……一体、どうなさったんですか」
「黙ってろって言っただろ」
それだけを答えて、また俺は古泉の髪に指を滑らせた。少し色素の薄い、きれいな茶色だ。
嗅ぎなれたシャンプーのいい香りがする。
それから背中も撫でてやる。続けていると、しばらく古泉は体を硬くして「えっ」とか「あの……」とか何とかもごもごと呟いていたが、あきらめたのか、体重を俺に預けてじっとしている。よしよし、それでいいんだ。
前髪をかきわけるように指ですいてやると、形のよい広い額が目に入った。こいつはこういうちょっとしたところまで本当にきれいにできている。顔だけじゃなくて、指だとか腕や足だとか、そういう何でもない部分まで整ったつくりをしているのだ。つくづく人間と言うのは不公平にできているものだと俺は思うね。
目の前の古泉の額に、俺は軽く唇をつけてやる。
「!」
また古泉が目を大きく見開いて硬直していたが、「おとなしくしてろ」と言って頭を撫でると、力を抜いてゆっくり目を閉じた。それから、それまで所在無さげにしていた両腕を俺の背中に回して、きつくない程度に抱きついてくる。温かくて、気持ちがいい。
俺はまた古泉の額とか、閉じた瞼の上、男にしては本当にきれいな頬だとかに口付けた。そのたびに、古泉の長い睫毛が小さく震えるのが楽しくなり、何度も繰り返す。
最後に唇にキスをする。柔らかいその感触を味わってからゆっくりと顔を話すと、古泉が閉じていた目をそっと開いてこちらを見た。
「あなたは……すごい人ですね」
「何がだ?」
「何がって、もう、何から言っていいのか僕にはわかりません」
そう言って嘆息する。こいつがこんな風に困った様子なのを見ていて面白いと思うのは、俺も人が悪いって言うことだろうか?
「ところで、その、もうこれで終わりなんですか?」
――前言を撤回する。何だその期待に満ちたまなざしは。さっきまでおとなしくしていたくせに、ちょっと気を抜いたらもうこれだ。
更に古泉は、伸び上がって俺の頬に自分の顔を寄せて、頬擦りしてきた。お前それは何だ、猫にでもなったつもりなのか!
それから、ちゅっと言う音をたててキスされる。
「あなたが大好きです。愛してます。……だから」
だからもっと、あなたに愛してほしいんです。
古泉は下から俺の顔を見上げて、そう言った。
何て恥ずかしい奴なんだ。
もっと、ね。
そんなことを言われても、俺には、これ以上だなんてどうしたらいいのかわからないんだが。
と、それはさすがに癪なので、言わないでおいてやった。