冬空に誓う

するどく凍りついたような星が夜空に光る。

普段自分が暮らしている街の中とここでは、夜の闇が持っている密度が違う。この場所で感じる夜はもっと暗く、重いものだ。それは空を眺める僕の体にのしかかってきて、痛みをともなうほどの寒さとあいまって、見る者を動けなくさせる。
真夜中にも関わらず、それでも辺りがぼんやりと明るいように思われるのは、足元に広がる一面の雪のせいだろう。だが目線を少しずつ遠くへと向けていけば、その白さもしだいに夜の闇の中にとけて、見えなくなっていく。天頂から広がる暗闇と、地に降り積もった雪の白さの対比がひどく鮮やかだった。昼間ならば当然のように空も明るい光に満たされるのだろうに、今見上げたその場所では、星が針の先ほどのごく小さな光を瞬かせているくらいだ。逆に足元を真っ白に埋め尽くした雪は、そのわずかな光を集めるようにして輝いている。

僕は有名な小説の中の一節を思い出す。
ここは確かに、白く凍てついた、夜の底だ。

でも光を投げかけてくるものはこれだけではない。僕の背後にある建物の、ところどころの窓からは暖かな光が放たれている。あの中にはSOS団のメンバーや鶴屋さん、彼の妹さんに加えて、夏と同じように今回の旅行を影でサポートしてくれている機関の面々がいるのだ。
鶴屋さんが提供してくれた雪山の山荘に訪れた僕たちは、予想外のアクシデントに見舞われたりしながらも、つい先ほど、無事に全員がそろった形で新しい年を迎えることができた。年が明けてからも皆が揃っての祝宴は続いていたが、昼間から遊んでいた疲れが出たのか、まずはやはり彼の妹さんが、ついで朝比奈さんがうとうととし始め、自然に宴会はお開きということになっていた。涼宮さんが「朝はみんなで初日の出を見るわよ!」と意気込んでいたから、ひとまず今日は早起きしなくてはならない。昼から色々と寸劇の準備に追われていた自分にはなかなか辛いところでもあったけれど、せっかくの機会だ。こんな年始も決して悪いものではないだろう。僕は素直にそう思うことができた。改めて見上げた空はなお暗く、夜明けが来るのはまだ先の話になりそうだ。 あたりには音を立てるものの一つもなく、静寂がこの場を支配している。目を閉じて耳をすますと、時おり風が通り過ぎていく音が遠くに聞こえてくるくらいだ。闇の暗さと、雪の白さと、それらの中に満ちた静けさの他には何もない。そして、痛みに変わっていくほどに研ぎ澄まされた寒さが、僕の体を包んでいた。

「──いつまでそうやっている気だ?」
背後から雪を踏みしめる音が近付く。それと同時に、彼の声がした。僕はそちらを振り返る。 「……おや、気付いていらしたんですか」
コートを羽織り、ポケットに両手を入れた彼がこちらを見ていた。
「ああ、まあ……な。さっき皆が部屋に帰っていくときに、おまえが一人だけさりげなく別の方向に行ったのは、知ってた」
特に誰にも言ってこなかったが、どうやら彼には気づかれていたらしい。そのことに驚きを感じるとともに、かすかな喜びをおぼえている自分がそこにいた。
「何してたんだ?この寒いのに、わざわざ外に出て」
言いながら、彼が僕の隣に並んだ。吐く息が白くなって空にとけてゆく。
「大したことではありませんよ。こんな雪景色を見られるのは、めったにないことですからね。改めて雪を眺めにきてみたまでです」
「俺はもうしばらく雪はたくさんだね。昨日……もう一昨日か?何だか遭難したみたいな感じになっちまったし、寒いのもごめんだ」
僕は思わず笑ってしまう。寒いのを嫌う彼らしい発言だ。確かに僕もあのような事件に巻き込まれるのは避けたいところだったが、冬の寒さ自体は嫌いではない。しみるような寒さを感じて、頭の中がクリアになるような気がするからだ。
そう考えていた僕の顔をじっと見て、彼が口を開く。
「……おまえ、ずいぶん外にいたんだな?顔が赤いぞ」
言われて、手の甲で自分の頬に触れてみる。確かにかなり冷えていたようで、手の熱がじんわりと伝わるのがむず痒く感じられるほどだ。手もそれなりに冷えているはずだから、それでもそう感じるのならば、頬の冷たさは相当なのだろう。産毛から冷たく凍っていくような寒さの中に立っていたのだから、当然のことなのかもしれない。
「本当ですね。結構冷えていたようです」
「……どれ」
ゆっくりと伸ばされた彼の手が、僕の頬に触れた。
──温かい。自分の手とは比べものにならないほどに。
僕は彼のその手を取り、自分からそっと頬を寄せた。燃えるような熱を感じる。
「──あなたの手は、とても……温かいですね」
「おまえが冷えすぎてんだよ」
「……そうかもしれませんが、僕にとってあなたの手が温かいものだということには、違いはありません」
触れる肌、指の一本一本まで、すべてが温かく、いとおしい。
「手の温かい奴は、心が冷たいって言わないか?」
「そんなことは、ないですよ」
彼の言葉を、僕は軽く笑いながら否定する。彼の心が冷たいなど、そんなことはありえない。その温かさを求めてやまない人間がその周囲に一体どれだけいるのか、彼はきっと気づいていないのだろう。
頬に当てていた彼の手を離し、それからゆっくりと彼の目を見つめた。やわらかさを感じさせる眼差しがこちらを見る。
「もうひとつ……あなたに、触れてもかまいませんか」
僕がそう言うと、彼は少しだけ視線をさまよわせた後に、──そっと目を伏せた。
僕は静かに彼の体を抱き寄せ、その唇に口づけた。唇からも、彼の温かさを分け与えて欲しいと請うような、触れるだけのキスをした。
唇が離れて、お互いにゆっくりと目を開く。ごく近い距離で覗いた彼の瞳が、とても美しいと僕は思った。
そのままそうやってしばらく彼の顔を見ていると、照れたようにして彼がふいと顔をそらした。
「……もういいだろ。ほら、帰るぞ」
彼はそう言って後ろを向き、先に別荘へと歩いていった。
僕はそれを追いかけ、少しためらった後にそっと彼の手をとり、指をからめる。
──その手は振り払われることなく、僕たちは手を繋いで、二人で山荘へと続く道を歩いていった。


暖かな光がもれてくる目の前の建物には、愛すべき人たちが眠っている。そして僕の傍らには、何よりも愛しく思う彼がいてくれる。
一年前の僕は、自分がこんな穏やかな気持ちになれる時がくるだなどとは、想像もしていなかった。超常の力を得てからは苦しいことのほうが多かったけれど、今のこの場所は、それがなければ得ることができないものであったはずなのだ。
先日の異変といい、僕たちを取り巻く状況は決して平和なだけのものではない。でも僕は、どんな時も自分に出来る限りの力を尽くして行こうと思った。

この新しい年もずっと、守るべき大事な人たちのために。