夏休みも半ばを過ぎたある日のことだ。それは、いつものSOS団市内探索を終えたあとの帰り道で、俺と二人になった古泉が言った台詞から始まった。
「そういえば、実は機関にも夏休みというものが存在するんですよ」


サマー・ホリデイ



──それは、まったくもって初耳だな。
古泉が属する『機関』は、『世界の崩壊を防ぐために』ハルヒを観察しているんだという、大げさなんだか真剣なんだか今ひとつ俺にはよくわからない団体だが、そんな組織と『夏休み』だなんて単語は結びつかないような気がしてならない。それは言ってみれば、警察や消防署が夏休みで事件や事故に対応しないっていうようなもんなんじゃないのか?
「もちろん、機関の全てが活動を休止するわけではありませんよ。この世界を──涼宮さんをあらゆる方向から見守ることが我々の責務なのですから、組織は常に24時間体制で動いています。ただ僕たちのように、直接あの閉鎖空間で『神人』と相対する能力者については、この数日に関してだけ、特別に休暇を取ることが許されているんです」
「でもお前らがいないと、あの化け物を倒せないんじゃなかったのか?」
「ええ。ですから、今から数日の間は、閉鎖空間が発生する可能性が普段に比べて格段に低くなることが、機関の分析によって証明されているからなんですよ。さっき別れ際に涼宮さんが言っていたことを覚えていますか?」
ハルヒの言っていたこと?
──俺たちが解散したのはいつもの集合場所になっている駅前で、午後に入ってもまだ日差しが燦々と照りつける中だったが、そんな連日の暑さにも全くめげた様子のないハルヒが言っていたのは確か、団長の都合でSOS団の活動は三日間ほど休みにする、というものだったはずだ。確かあいつが家族で親戚の家に行くからとか何とか……。
「そうです。涼宮さんのお家では、毎年長期の休みになると、彼女のお祖父様にあたられる方が住んでいる地方へいらっしゃるのですが、今回はこれが明日からのようですね。涼宮さんはそのお祖父様がとてもお好きなようでして、これまで機関が確認する限り、彼女はかつてそこにいる間に閉鎖空間を発生させたことは一度もないのです。今のように涼宮さんの精神が比較的安定する前の、日常茶飯事的に神人を生み出していた頃であっても、それは同じでしたから。今ならばその心配は更に少なくなっていると言ってもいいでしょう」
ハルヒはお祖父ちゃんっ子だったのか。ちょっと意外な感じもするが、でもその人と一緒ならあいつが大人しくしてくれてるっていうんなら、ずっとそうだったらお前らの仕事も少なくなるんだろうにな。
「それはどうでしょうね。一年に一回か二回程度しか会えない方だからこそ、涼宮さんもより楽しみになさっているのでしょうし、それだけでは彼女が普段抱えている鬱屈ですとか、全ての問題が解決できるわけでもないと思いますよ。でもいずれにしろ、この数日は僕たち能力者にとって非常に貴重な夏休みであるわけなんです」
「ふーん……」
確かに、四六時中いつハルヒの機嫌次第で呼び出されるか分からない、なんていう生活はストレスも相当たまるだろうから、息抜きの機会も必要なんだろう。例えてみるなら、年中無休のスーパーでも棚卸しの日くらいはだいたいの従業員が揃って休める、とかいう感じかね?ちょっと違うか。
「……で、お前はどうするんだ?その休みの間」
俺が何気なく尋ねると、古泉はちょっと困ったような表情をして、
「いや、それが……実は特になにも決めていないんですよ」
と呟いた。
俺はその時「お前も実家に帰ったりはしないのか」と言いそうになった言葉をとっさに飲み込んだ。別に聞いたからどうなるってわけじゃないが、もし本当にそう聞いたのだとしたら、きっとこいつはいつものあの胡散臭い笑顔で曖昧にごまかすだけなんだろう。何故だか今は、その表情を見たくないような気がした。
古泉と出会ってから一年以上がたって、その頃とは比べものにならないほど親しくなった……というか、今や色々な意味で親しくなりすぎている部分があるんだが、そんな風になっても、こいつはそう簡単に自分の内側を見せようとはしない。別に言いたがらないことを無理やり聞きだそうだなんて考えてやしないが、そういうこいつを見てると、もどかしいような、ちょっと悲しいような気分になったりしなくもない。……本当に、全く柄にも無い話だと自分でも思っちゃいるんだが。
「これと言って、予定はないんです。でもとりあえずのんびりしようかな、とは思っていますよ」
「ふーん……それもいいんじゃねえの?夏休みらしくて」
俺がそう言うと、古泉は少しだけ口元をほころばせて「そうですね」と答えていた。


結局、この件について俺たちが交わした会話はこの程度だった。その後は何てこともない話をしながら帰路につき、古泉と別れて家に戻ってきたのがだいたい一時間くらい前のことになる。
そして俺は今、自分の部屋でベッドに横たわりながら、手元にある携帯電話を何となく眺めていた。
──ああ、まあ自分で言うのもどうかとは思うが、『何となく』と表現してしまうのはちょっと語弊があるだろう。さすがにそこまで往生際の悪い台詞を言うつもりはない。正直な話、俺は電話をかけてみようかどうしようかと迷う気持ちを捨てられないままで、ここ20分ばかりこうしてうだうだとしているのだった。
誰にって?まあ、それは……古泉にだ。
実際のところ、俺はあいつが「機関が休みだ」なんて話をしてきた時、何か自分に誘いをかけてくるだろうと無意識に考えていたんだと思う。いつものあいつの言動から考えてみれば、俺がそう思ってしまうのも決して不思議なことじゃないんだ。少なくとも俺はそう主張したい。
全く大っぴらにできることじゃないが、俺と古泉は普通の友人同士だとは言えないというか、まあ友人でもあるんだけれども、それだけではない関係になってしまって久しい。要するに、世間一般で言うところの恋人同士、だったりする。
俺も多少は慣れたとはいえ、自分でこんなことをわざわざ言い表したくないのはやまやまだが、双方の合意の上で(それは決して本能的な欲望のゆえだけではなくて)肉体接触のあれやこれやを頻繁に行っている以上、これをそう表現する以外にないっていうのは分かっているつもりだ。
そんな関係にあるわけなので、古泉が俺に何か言ってくるんじゃないかと考えてしまうのも、無理もないことだろう(と俺は思う)。決して俺のほうがあいつに会いたいとか積極的に考えているわけじゃないんだ。いや、全く会いたくないと思ってるわけでもないけれど、それはあくまでどちらが能動的に働きかけるかということが重要なのであって……。

「──うわっ!?」
その時、不覚にもまるで谷口のような声を出してしまった俺だが、それも仕方ないだろう?だっていつのまにか(本当にいつのまにか、だ)握りしめていた携帯がいきなり震え始めたら、誰だって驚きもするさ。
急に引っ張り上げられた鼓動の速さをなだめつつ見た、ディスプレイに表示されていた着信表示の名前は……『古泉一樹』だ。
それを見つめながら、何だか少しいたたまれない気分になりつつ、俺は通話開始のボタンを押した。
「はい」
『僕です、いきなりすみません。……今、お時間よろしいですか?』
「ああ、別にいいけど」
つい何でもなさそうな声を出そうとしてしまうことに関しては、この際見逃しておいてもらいたい。
『実は、その……』
そう言ったきり、古泉は口ごもってしまった。何なんだ、はっきり言え。
俺が促すと、ためらうような沈黙が一瞬あってから、受話器の向こうの声が少し改まった口調で話し始めた。
『先程はああ言いましたが……もし、あなたがご迷惑でなければ、明日から三日間、僕につきあっては頂けませんか?』
「……」
『あの、もちろんあなたに他のご予定があるんでしたら、無理は言いませんが……』

何と言うか、結局同じなんだよな。
わかってはいたが、こいつも俺もたいがい、どうしようもない感じになってると思う。さっきまでの自分の行動を冷静に考えると、相当恥ずかしくなってきそうな気がするので、あえて俺は考えない。考えないぞ。
「──いいぞ。別に予定とか無いし」
『……本当ですか?』
途端に声が明るくなった古泉に、俺は心の中でこっそり溜息をついた。たかがこれくらいのことでそんな嬉しそうな声を出すなよ。大げさな。でもそれを聞いて、ちょっとだけ、良かったなあとか思ってしまう俺も、はっきり言って古泉とあんまり大差ないんだっていうことはよくわかってる。
「で、どうするんだ?どっか行くのか?」
俺が問いかけると、古泉はちょっと困ったような様子で、
『──それがまだ、決めていないんです。自分から誘っておいて何ですが、あなたに同意していただけるかどうかもわかりませんでしたし、とにかくあなたと一緒にいられたらいいということしか、考えてませんでしたので……』
と言った。ナチュラルに恥ずかしい台詞を言われた気がするが、そこはあえて流そう。そうしないと俺のほうが何か危険だ。色々な意味で。
『申し訳ありませんが、これから考えますので、それについては明日の朝にメールさせていただいてもいいでしょうか?』
「ああ、好きにしろよ。お前の休みなんだから、お前の行きたいところに行ったらいいさ」
『ありがとうございます。では、また明日に』
古泉がそう言って、電話は終了した。何か必要以上に携帯を持つ俺の手が汗ばんでいるような気がするのは、きっと気のせいだ。うん、そういうことにしておこう。


翌朝古泉から来たメールに書いてあった内容はこうだ。
『おはようございます。今日のことなんですが、申し訳ないのですけれど、一度僕の家まで来ていただけませんか?荷物はそんなに多くなくて構いませんから』
古泉の家?
どこか行くんなら、いつもみたいに駅かどこかで待ち合わせたほうが都合がいいんじゃないんだろうか。ちょっとそう考えたものの、今回はあいつの希望に合わせてやろうと思っているので、俺は素直に「わかった」と返事を送り、仕度をととのえて家を出た。
古泉の家に行くのはもう何度めか分からないくらいになっているので、特に迷うことはない。長門のほどではないが、高校生の一人暮らしにしては程々に立派な古泉のマンションにたどり着いたのは、だいたい昼を少し過ぎたくらいの時間だった。
「いらっしゃいませ、わざわざすみません。お待ちしていました」
そう言って俺を迎えた古泉は、笑顔の度合いが普段の五割増しくらいになってるように見えて、俺はちょっとむずがゆい気分にとらわれた。何をそんなに喜んでるんだ。むしろこっちが恥ずかしい。
とりあえず部屋に上がって一息ついたところで、俺は古泉に尋ねた。
「それで、これからどうするんだ?」
「──はい、それなんですが……」
俺の目の前に座った古泉が、少し居ずまいを正して口を開く。
「昨日あれから色々と考えてみたんですけれど、結局これが一番いいというか、僕が一番やってみたいことなので。その、あなたには退屈かもしれませんが……」
「何なんだ?」




「これから三日間、僕とこの部屋で、一緒に暮らしてください」